仏を目指して3【エモーションコントロール】

 
仏を目指している私ですが、宗教や仏教には、興味はありません。お墓参りは、お寺に行きますし、クリスマスだって行います。お盆になれば、迎え火も送り火もします。毎日、ヨガだってしています。あらゆる文化に溢れているのです。
 
そんな私ですが、たまたまこんな言葉に出会いました。
 
 
「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか。」
 
どうやらお釈迦様さんのお言葉らしいです。”お釈迦様”さんって、名前はよく聞きますが、どんな人なのでしょうか。
 
”お釈迦さまの生没年は、紀元前五六六年頃~紀元前四八六年頃といわれ、八十年のご生涯です。
お釈迦さまがお生まれになった頃のインドは、まだ全土を統一する王朝は成立していなく、シュラーヴァスティ(舎衛城・しゃえじょう)を中心としたコーサラ国や、ラージャグリハ(王舎城・おうしゃじょう)を中心としたマガダ国などをはじめとして、多くの部族国家が分立していた時代でありました。
この二つの強国にはさまれたヒマラヤ山脈の麓に、カピラヴァストゥを都としていたシャーキャ族(釈迦族)と呼ばれる小さな部族がありました。 王の名をシュッドーダナー王(浄飯王・じょうぼんおう)、王妃をマーヤー夫人(摩耶夫人・まやぶにん)といいました。
お釈迦さまはこの両親から釈迦族の王子として四月八日にお生まれになったのであります。”
引用元  http://www.hokkeshu.jp/hokkeshu/osyakasama.html
 
 
 
???
 
 
……日本の人ではない?
 
 
 
これ以上は、世界が深くなりそうなので、身を引きます。人生は、引き際が大切ですからね。
 
 
 
とにかく先ほどのお釈迦様さんの言葉、
 
 
「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか。」
 
これは、つまり、プレゼントをしようとしたけど、受け取ってもらえず、プレゼントが返ってきたということですよね。荷物を発送したけど、受取人が不在だったから、荷物を持って帰ってきた的な。
 
ということは、当然、贈り主、プレゼントを用意した人にプレゼントが返ってきます。
 
その贈り物という言葉を、暴言や誹謗中傷に置き換えてみましょう。
 
 
「もし他人に暴言を吐こうとして、その相手が聞いていなかった時、その暴言は一体誰のものだろうか。」
 
…aa!!
 
すみません。思わず変換をするのを忘れていました。
 
 
 
…ああ!!(これでよしっと)
 
 
つまり、暴言を吐いたところで、相手に届いていなければ、自分に返ってくるだけという言葉なんですね。相手から暴言を吐かれても、受け取りさえしなければ、相手にそのまま返っていく……。悟りを開いたと言われる人はすさまじいことを考えますね……。
 
 
これも、なんだか7つの習慣の考え方に似ているように思います。
つまり、自分で選択をして、受け取ったり受け取らなかったりをし、人生を前向きで幸福なものにしていきましょうぜってことですよね。
 
 
 
紀元前から、人間の思考能力はとても高くて感動したというお話でした。
 
 
ん?こんな結論でいいのかな?何か違う気がする……。FIN

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